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「ドラゴン・アイ」 / 散文

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蝉の声より夜にすだく虫の声、そちらに勢いが傾いて感じられる、そんなこの頃。
静かに、しかし然と不可視なる裾を引き摺り遠ざかろうとしている、そんな夏の名残りを感覚に焼き付けようとする。
夜明けの香り、射る太陽の熱、遠雷の音、熟れた風の甘さ、夕立の気配、そよぐ夏の花の色。
風も凪ぎ、鈍行列車もゆるゆると。
退色した古い写真の中の世界のように、夏の終わりに暮らす。

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滲みた目を鏡で見て、ふと懐かしくなりかけた人を思い出す。
引越しや流れの変化で疎遠となる、そんな一人は親父の同級生で、何故か馬が合い会う度様々な話をした。
芸術肌で豪胆で、いつも下駄を履いていた。
姉さん女房のあの叔母さんもさぞ苦労しただろうと思ったものだが、そんな彼が生み出す作品は非常に繊細なものだった。
そこに秘められた二面性を盗み見た気になり、人とは面白いものだなと思った。
ある時、会うなりその人は
「お前の目は龍の目だ!」
と大声を放った。
拍子抜けした僕だったが、そんなある日の出来事を思い出したのだった。

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瞳の表情も日々移ろえば、龍にも色々あろうと思う。
彼は言い張ってきかなかったので有耶無耶にしておいたが、彼はその時僕の瞳に何かしらの龍の気配を感じたのかも知れない。
僕の目は左右でまるで印象が異なるから、あの時の話は左目だったのだろうなと思った。
しかしもしかすると、意外にも右目だったのかも知れない。
今となっては分からぬ事だが、右と左、そのどちらも含めての話だったかも知れないし、単なる気の迷いだったかも知れない。
世界に散らばる、相反していたり、また近いようで別に感じられる何か。
そんなどちらかに、何事も割り振り続けた世の中や人々。
どのような物事にも型に嵌らぬ部分は存在しているだろうし、そんなことは無意味かも知れないと改めて感じる。
豪胆な人が繊細な作品を生み出すように、一人の人間の中にも数々の側面が刻まれているのだから。
「おっちゃん、あれから皆十は歳をとったんじゃないかね?」
そう心の中で、それこそ龍のような御仁に一つ笑う。
嬉しい事があった時、親父のように、または友のように抱き締めて祝福してくれたな。
嬉しかったよ。
そんな事を懐かしみ、滲みた右目を鏡にて確認した。

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春からこちら、半ば悪癖の気配を帯びるのはVino tinto en la noche.
何故か。
どの言葉もしっくり来ないのだが、一つ言えることは寂しさが理由ではないという事か。
それよりも、心許ないという理由の方が心に添う気がする。
考えれば僕は妙なのかも知れないが、生まれて此の方真剣に寂しいと感じた事がない。
何故なら、自分の中のどこか奥の部分で
「寂しくて当たり前」
だと思っている節があるからだった。
思えば、寂しさを寂しさと感じられない事が、やもすると一番寂しいのかも知れないわけで、しかし僕はそこに余り興味もないし、今迄通りゆるゆると流すことだろう。
ゆるゆると、身体に染み込むVino tinto.
ゆるゆると、色褪せた写真の中のように時を流して。

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飽きもせず、仙骨から立ち昇るような眠気に日々絡み取られ、近頃は夢ばかり見ている。
それでも、切れた品々を贖いに出掛ける。
黒塗りの下駄に、襟の抜けたシャツを羽織って。
もう、眼鏡はシャツで拭う。
自転車に乗ると、すれ違う風が項に口付けて心地よい。
密かな楽しみは、通り過ぎる駐車場に転がる土生姜色の猫の観察。
先日は予想外に側溝の中で毛繕いをしており、驚かせてしまったが、
「...なんだ、君か」
という顔を見せて毛繕いの続きに取り掛かっていた。
今日ははずれ、鯖虎の猫だった。
夏が短いように、短い一日が終わる。
目を閉じて、夢の輪郭に触れる。
あの春の夜の、または夏の始めを夢でなぞりたい。
目を閉じる。
寝苦しくも、夢に近付く。
目を閉じる。
おやすみ、ドラゴン・アイ。

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by tuchinoko-sha | 2017-08-21 22:12 | 文芸系