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「桜花の手燭」/ 掌篇小説

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深更、妙な夢を見て目が覚めた。
部屋の中に立ち込め、畳の表を覆うのは春の夜の温気か。
格子戸をカラリと引いて濡縁に立つと、目を遣った先の木々に引っ掛かるようにして温かな月が出ていた。

夢の中、夜の洋館の中に私と君。
君は黒の洋装を纏い、私も外套を羽織っていた。
甘やかな言葉も、二、三交わしながら。
すると館の者たちが幾人か現れ、もう門を閉めると告げられた。
二人して見ず知らずの妖しげな夜の街に放り出される事になり、その前に
「一寸待っていてくれたまえ」
そう私は君に告げ、館の者に手洗いを借りることにした。
しかし手洗いの扉を開けた先はまた別の雨の街で、それから夢は転々とし、気付けば古刹の天井画にありそうな勢いよく墨で描いたような龍、それらが数体並んで笑いながら何やら楽し気に会話をしていた。
龍たちは私を笑顔で見遣り、私はそこで目が覚めたのだった。
「...いかん、君を置いてきてしまった」
月を眺めながら先程の不可思議な夢を反芻していた私は、やや湿り気のある土の香りのする風を浴びながら呟いた。

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翌夜、夜風に誘われて辺りを歩む。
ふと思い付いて山寺に足を向けることにする。
浮き足たつような浮かれ具合ではなく、なにかこう、春の夜とは魔力のような力を秘めている。
心許なく不安定、しかし風に運ばれて歩みは軽々と進むようでもあり、山から降りてきた重厚な土の香り、また辻々で秘めやかに花開いている千里香とが層を作り、確かなるものと羽衣のように自在に舞う軽さで織り成されているようでもあり。
春の夜は美しく、また危うい。

時、図らずも望月。
川辺りでは吊るされた提灯の下で、花見の酔客らが陽気に夜を過ごしてもいるだろう。
何処にも等しく春の夜風は吹き、そうして風に頬を撫でられた者は等しく春の夜の魔力に触れることだろう。
或者は感傷に浸り、或者は過ぎた酒に浸り、はて、私には一体どのように作用するのであろうか。

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山門の仁王像の合間を過ぎ、夜の中仄白い姿を魅せる桜の道を歩んでゆく。
すれ違う人も数えるばかり、勝手を知らぬものの我が庭のように私は暢気に歩みを進める。
石段ですれ違うのは、納戸色の羽織と桜襲の二人。
ふと、君の事を思い出す。
思い付いて此処までやって来たが、君を誘えば良かったか。
しかし私も気侭な歩みで山門を潜ったのだから、何処々々へ行こうとは誘えまい。
ならばどのようにすれば良かったかと私は空想を広げ、どうやら春の魔力は私にはそちらに作用するようであった。

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本堂の前に、参詣客が種火として用いる蝋燭が一つ灯っていた。
夜の灯火は心穏やかにし、また心強くもある。
例えば私は、君の枕元に燭台を一つ添えようか。
蝋燭の代わりに、桜を一枝。
君はそれを手燭にして、桜花が明るく灯る方へと歩みを進めるといい。
なに、風に吹かれたって消えはしないさ。
しかし散る花弁には気を付けてくれたまえよ。
辻々を折れて、この山寺に近付くにつれ手燭の明かりも力を増してゆくことだろう。
月にばかり見惚れていてはいけない、手燭の明かりを頼りにしてくれたまえよ。

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山門の辺りまで近付くと、手燭の桜花は星々のように瞬く光を放つことだろう。
さて、私は何処で待っていようか。
山門を過ぎて少し先、石段の合間の満開の染井吉野に背を預けて、張子の狐の面でも被っていようか?
手燭と共にやって来た君に、コンと一鳴きして、君が驚いて怯んだ隙に手を引いて攫うよ。
行き先は何処がいい?
月明かりで夜桜を見下ろす、山寺の奥の院。
また突拍子もなく、行き先も知れぬ夜汽車の中というのも乙なものだよ。

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ふと春の山の香りに混じり、供えられた線香の残り香を含む夜風が頬を撫でる。
そして、私は空想から目を醒ます。
美しい春の夜。
魔力をもつ含み笑いの風が、かち色の袷の裾を攫う。
石段を降る私は、川辺りの酔客と等しく夜風に吹かれている。

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そうして、私は昨夜の夢を思い出す。
夜の中に二人が一人、一人と一人。
「いかん、君を迎えに行かねば」
私はまたそう独りごち、この後に迎える夢の中に人知れず静かに弓を射っておくのだ。
忘れずに、此度は私が桜花の手燭を携えながら。

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by tuchinoko-sha | 2018-04-03 23:07 | 文芸系